5月26日18:30~21:00参加者数:約80名
第1回バリアフリー委員会主催講演会
「聴覚障害と手話」
講演者:山本浩之氏(札幌聴力障害者協会)
渋谷悌子氏(同上)
山本浩之氏 講演


山本氏は、まずご自身の略歴についてお話しました。
名前 : 山本 浩之 / 出身地 : 京都府京都市 / 現住所 : 札幌市
職業 : (社団法人)札幌聴覚障害者協会:情報保障グループ
仕事は、8年前に札幌聴覚障害者協会に就職し、5年後、北海道ろうあ連盟というろうあ団体に転職。
また、2006年4月から札幌聴覚障害者協会で仕事をしているそうです。
仕事内容は、札幌市に住む聞こえない方たちのために、字幕ビデオを作製したり、また、その貸し出しなどをしているそうです。
1980年代は、障碍を持つ子供、持たない子供も一緒に学ぶことがお互いの理解につながるという考え方もあり、 山本氏は普通学校で小、中、高、大学と進学されましたが、それは決して簡単ではなかったと語っています。
例えば、席替えの楽しさなんていうのは全くなく、山本氏は常に一番前と決まっていました。 なぜなら、教師の口の動きを読まなくてはならないからです。
体を伏せて授業を受ける自由もありません。授業中は、口の動きを必死に読まなくてはなりません。しかし、山本氏は学校生活で勉強よりも、友達との会話が大変だったといいます。 喋ることはできても、相手の話を読み取りことが難しかったのです。しかし、その当時は、それが当然だと思っていたそうで、 聞こえないということについてもそれほど考えていなかったそうです。
山本氏が、手話を学んだのは10年ほど前のことだそうです。 それまでは、補聴器や相手の口の動きを読むことでコミュニケ-ションをとっていました。その当時、大学生であった山本氏は 小中高と同じようには上手く出来ず、教室が広いために口の動きを読むことが困難で、 講師の話が分からない等の苦労をされ、この頃、壁にぶち当たったのだとお話されました。
「聞こえないとは何か」
制度としての「聞こえない」
簡単に言えば、障害者手帳を持っているということ
しかし、どれくらい聞こえないのかというレベルを機械的に処理するため、 そのボーダーにいる聞こえにくい人たちは聴覚障害者と認定されない。
聞こえる人が思う「聞こえない」ことで生じる不便
「朝、起きられない」というのがトップということですが、山本氏は平気なので、この意見は意外だそうです。 そのほか、「電話ができない」、「音楽が聴けない」「友達と話が出来ない」
色々な「聞こえない」
聞こえないといっても、その意味としては「全く聞こえない」「低音は大丈夫だが、高音は難しい」など色々あります。このため、健聴者の聴く音楽と聴覚障害者の聴く音楽では、違う音を聞いていることになるかもしれません。
会話の方法
1対1では、集中して口の動きを読み、後は想像力で言葉をつなげるなどして、会話が出来ます。
集団の場合は、口の動きを読むにも目が追いつかない。音を拾うにも誰の声か、何の音か判別が難しい。
会話が出来ないのは、何故かという思い
山本氏は、大学生になって「聞こえない」ということについて深く考えるようになったそうです。
集団では、会話が出来ないのはなぜなのか、自分は頭がおかしいんじゃないか。 他の人は、集団のときだけ別の言語を話しているのではないかなど考えたそうです。ただ、山本氏はこのときの思いを言葉にするのは難しく、今、話せる範囲はこのくらいなのだと言います。
手話は言語である
山本氏は、「聞こえない」方たちが普通に暮らせるように努力してますが、 その最も重要で基本となる方針は「手話は言語」ということを認めてほしいということだと訴えます。現在、手話は「聞こえない」人たちがやむを得ず使うものだという常識がありますが、それは違います。 日本語があり、手話がある。どちらが上ということではなく、対等な言語であると認めてほしい。言語学では、言語と認める条件がありますが、 手話はその条件を満たしているため「学問的」には認められています。
コミュニケーション手段としての手話
口の動きを読む方法は、集団の場合は困難です。筆談では、会話の間を表現できません。例えば、喧嘩が出来ません。しかし、手話は健聴者が話すように言葉のキャッチボールを出来る。そのため、コミュニケーション手段として優れているのです。 この意味でも、手話を公的に認めるというのは大事なことです。
手話を使うということは意思表示をすること
私は「聞こえない」というアピール。しかし、昔は、公共の場で手話を使うことは出来ませんでした。 石を投げられることもあったし、それでなくとも奇異の視線で見られました。ここに「聞こえない」人がいるというアピール。手話は言語であるというアピールであり、言語を使っている人がいるというアピール。
手話で解決する聴覚障害の問題
聴覚障害において、以下のような問題があります。
- 耳が聞こえない、聞こえにくい
- 音を発することが出来ない
- コミュニケーションが取れない
- 周りの理解がない
この4つは相互に関連しています。
もし、日本国民全員が手話が出来たとしましょう。その時、
- 聞こえないという機能の問題は難しい。医学的研究か補聴器の技術の進歩に期待するしかない。 しかし、今もあるが、電話の代わりにメール、FAX、パソコン通信。 ドアのチャイムの代わりに信号灯。目覚ましの音の代わりに振動機能を使う。このように、代わりの方法を使うことが出来る。
- 音声が聞こえない、発声できない場合は、手話を使う
- 日本中の人が手話を使えるので、手話を使ってコミュニケーションをとれる
- 日本語に偏見を持っている人がいないように、手話が当然なものとして受けいられれば、 偏見はなくなり、周りの理解がないという状況はなくなる
つまり、聴覚障害というものがなくなるかもしれません。 機能の障害は残りますが、何も困ることがないのであれば、問題はありません。
将来への展望と現在の活動
手話は各国で違うのだが、その各国の手話を言語と認める国は現在では数えるほどしかありません。
国連で障害者の権利条約を作る動きがありますが、 それに「手話は言語である」という文も載せてほしいと聴覚障害者協会は働きかけています。 もし、国連で正式に「手話は言語である」と認められると、日本もそれを認めなくてはなりません。 すると、それに併せて、今まで出来なかった法律の改正もされ、それは福祉の発展につながるでしょう。
また、小中高で国語を、中高で英語を学んでいるように学校教育に手話を取り入れられないかと活動をしています。
渋谷悌子氏 講演

渋谷悌子氏は、山本氏と同様に札幌聴覚障害者協会に所属し、 コミュニケーション支援グループで働いているそうです。渋谷氏は、長く手話通訳者として活動されていて、そのきっかけと経験についてお話されました。
手話通訳士になるまで
今でいう知的障害者が生活する厚生施設に、高校生の頃、通っていました。 そこで働きたいと施設の運動会などにも受け入れもらっていました。その後、高齢者福祉施設が新しく設立され、高齢者福祉に興味がわいた渋谷氏は、そこで4年間働きました。その時、一緒に手話を始めました。
実際に、福祉活動をして
今の仕事はあまり関係ないように思えますが、聴覚障害者だけではなく、高齢者でも耳が遠い人もいます。 また、コミュニケーションだけではなく、色々求めながら、暮らしています。 実際に、そんな生活に直面しながら勉強していくこと、その経験は、今の手話通訳士の仕事にも活きているのです。
今は、実際に福祉活動をする中で、様々な仕事があるけれど、その基盤に社会福祉の理念があって、 そして、それは仕事の中で活きてくるのではないかと、福祉とはそんな広く深く大切なものであるという考えています。
手話通訳士へ
手話通訳の講座が無料だったということもあって、それを受けようとしたのですが、抽選で落ちてしまいました。 それで、点訳メンバーになり、中学校の参考書などを点訳して、6年間その活動をしていました。
その関係で、手話を学んだときに、手の形で意味を伝えるとか、 ろうあ者の苦労、歴史、北海道の聾学校の少ないのは何故か、など色々考えるようになりました。
次第に、点訳活動よりも手話に強く興味がわきました。 そして、手話講座が終わる頃、ちょうど手話通訳の講座がありました。 そこに通って、試験に受かり、手話通訳士として登録されました。
高齢者福祉施設では、色々感じることを伝えたりしたのですが、 「社会福祉は甘くない」「現場では難しい」などと言われ、 しかし、平行して学んでいた手話通訳仲間や聾者にその悩みをを話すと、「それはおかしい」とまた違った意見があり、 苦しんでいたときに、たまたま石狩市で手話通訳士の枠が空いているということなので、給料は下がるけれども、 今の自分の力では高齢者福祉は無理だと思い、手話通訳士として働くことを決めました。
手話通訳士の経験から
手話(福祉)を広める
今、バリアフリー委員会で学んでいる手話を単なる趣味で終わらせずに、 ろうあ者のことを理解してくれる人にために色々情報を発信することが大切です。 難聴の学生の支援に時間を使う人もいます。近所に聾の友人がいて、援助している人もいます。 そういう直接的関りのある人は手話を続けていくと思います。大学では、難聴の方と話すけど、家の近くには聾の方がいない。 そういう人は、このバリアフリー委員会で得た知識を周りの友人、家族に情報を発信することが大切です。
昔の聾、世代間
4,50代の聾者の体験です。聾学校で、手話を使うと、 皮のスリッパでたたかれる、水を入れたバケツを持たされるなどの体罰が普通でした。
6,7,80と年齢が上がっていくと、もっと過酷な経験をされています。
例えば、聴覚障害者たちが積極的に全国で活動していた時代、その担い手は今の50代くらいなのですが、 その方たちは健聴者を、仮に手話を使えても簡単に信用してはくれません。健聴者に負けるものかと言う意識が強いのです。しかし、それより上の世代になってきますと、我慢して生活していくのが当たり前という時代に暮らしてきました。 手話を使える健聴者に対して、「手話が上手」だと「私は手話が下手だ」と恥ずかしそうに言います。 聞こえる人は、立派だと言います。それは、昔、石を投げられた時代に暮らしていたからで、感謝の気持ちを体で表します。 そうしなければ、伝わらない時代でした。このように、世代によって「聞こえる」私たちへの見方は、全く違います。
「聞こえない」人に対する教育
憲法で守っている教育の部分の権利を「聞こえる」人たちにだけ視点を当てるのは間違いです。 7,80の謙遜しながら生きる聾者も、「聞こえる」人に負けるものかと頑張るひとも、若い世代の人もきちんと教育を受けるべきです。そうなれば、その教育をベースに、色々と考え、自らの生活を選択することが出来ます。
伝える手話
健聴者は、音声に即した平坦な手話をしがちです。書き言葉で、手話のキャッチボールをすると、非常に分かりずらいものになります。 しかし、音声に即した手話も手話のひとつです。聾者がよくする表現豊かな手話も手話のひとつです。 どの手話がいいということではなくて、どれも言語です。ですから、発展があり、変化があって当然なのです。
手話を学ぶことは手段です。手話の単語を覚えることが目的ではありません。 手話を通して、聴覚障害者と対話します。初めて、手話で会話したときの気持ちを大切にして、忘れないでください。その伝えたいと言う気持ちは伝わります。どんなに下手でもです。逆に、その気持ちがなければ、伝わりません。 その気持ちがなければ、捉えようともしないからです。手話の単語が分からなければ、書いてみよう、声かけてみよう。声かけてもダメなら、前に回って呼んでみよう。 そういうことを実際にやると、すごい大変なことになります。 だから、もっと「聞こえない」方と話したいと思うと、手話は上達します。それは伝えたいと思うからです。その気持ちを大切にしてください。
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